アロマテラピーの歴史 近世から近代 技術発達で花開いた香り文化

ルネサンスに始まる産業や近代科学の発展を受け、香りの文化も大きく前進します。王侯貴族をはじめとする社交界を通じ、芳香を楽しむ文化が世界に広まっていきます。

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ルネサンスによる古典文化の復興

ルネサンスは14世紀イタリアで起こり、ヨーロッパ各地に広まった文化運動で「再生」「復興」を意味します。

中世ヨーロッパはキリスト教の強い影響下にあり、ギリシャやローマの文化が異教のものとして排斥されました。

ルネサンスはそれらを復興させようとするもので、芸術の隆盛に伴って香料への興味も高まりました。

また中国で発明された火薬・羅針盤・活版印刷もヨーロッパに伝わりました。特に印刷技術の改良により、薬用植物に関する書物が大衆にも届くようになったことで、香り文化がさらに広まりました。

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大航海時代とスパイス

この頃、羅針盤の技術や船の造船技術も向上し、大航海時代が到来しました。肉食文化のヨーロッパ人にとって欠かせない胡椒などのスパイスは、それまでオスマントルコ支配下の交易に頼っており、非常に高価なものでした。

そこで新しいルート開拓し、スパイスをより安価に得ようとしたのです。その中で、新大陸や未知の植物も発見されていきます。

スパイス

アジアで産出されるスパイスは、オスマントルコの支配下にある地中海貿易によってしか得ることができず、スパイスは当時同じ重さの銀と同じほど高価でした。

そのためアジアと直接取引が可能になる新たなルートの発見が求められ、大航海時代が始まったのです。

ハーバリストたちの活躍

そうした中、新しい植物や植物についての知識が必要となり、「ハーバリスト」と呼ばれるハーブの専門家が求められるようになります。

特にハーバリストが活躍したのがイギリスで、「The Herball(本草書又は植物の話)」を発表したジョン・ジェラード、ジョン・パーキンソンなどがその代表です。

またニコラス・カルペッパーは薬草を占星術と関連付けた「The English Physician」を著しました。

ハーバリスト

ディオスコリデスやイブン・シーナなどによる古典的書物を元に、植物学や本草学、医学を学びさらに発展させようとした人々。のちに、医療目的でハーブを扱う専門家を指す言葉となった。

ジョン・ジェラート

1545年~1612年。ロンドンのホルボーンに薬草園を開いた。「The Herball」(The Herball of General Historie of Plantes 本草書または植物の話)は薬草園の植物を目録にまとめたもの。

ニコラス・カルペッパー

1616~1654年。「The English Physician」で薬草と占星術を関係づけた。

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近代植物学の始まり

植物分類法の基礎を打ち立てたのがカール・フォン・リンネです。植物の学名を属名と種小名によって分類する「二名法」は彼により発明され、世界共通の分類法として現在も使われています。

また大航海時代以降、「プラントハンター」と呼ばれる植物学者たちも船に同乗し、新たに発見された大陸から植物を持ち帰りました。

18世紀、ジョセフ・バンクスは、ジェームズ・クックのエンデバー号に乗船してオーストラリア大陸を探検し、ヨーロッパに未知の植物を伝えたことで名を残しています。

二名法

属名と種小名で構成される学名で植物を分類する方法。この方法により、一つの植物に複数の名称がつけられると言った混乱がなくなりました。

精油や芳香水の普及

ヨーロッパでは16世紀頃より、植物から香料として精油を抽出するようになります。王侯貴族の間で楽しまれた他、治療にも使われました。

このような香料文化は社交界を通じて国から国へと伝わり、ルイ14世の時代には、お抱え調香師を雇って香料を調合させることもありました。また、香りで個性を表すようになり、身につけた人の名を冠した香料も残っています。

なお現在も親しまれている「オー・デ・コロン」はフランス語で「ケルンの水」を意味します。17世紀末ケルンに移住したイタリア人、ジョヴァンニ・パオロ・フェミニスは、イタリアで流行していた芳香水「アクアミラビリス(素晴らしい水)」をケルンで売り出しました。

これはアルコールとベルガモットを中心とした精油で処方されたもので、芳香そのものを楽しむために用いられた最古の香水と言われています。

香料の名称

ビターオレンジの花の精油は「ネロリ」と呼ばれます。これは、イタリア・ネロラ公国の公妃が愛用し、社交界で流行したことに由来しています。

ケルンの水

ケルンの水の製造はその後、ジョヴァンニ・マリア・ファリーナが受け継ぎ、「オー・デ・コロン」の名で商標登録されます。後にケルンを占領したナポレオンが愛用したことも知られています。

香り付き手袋の流行と「香水の都」

「香水の都」と呼ばれるグラース地方は、元は手袋製造の中心地でした。十字軍に赴いた騎士たちが、イスラム兵士たちが用いていた賦香革手袋を持ち帰ったことがきっかけで、ヨーロッパでは貴族中心に香り付き手袋が大流行しました。

グラースは温暖で芳香植物も多く育つことから、手袋と共に香料も生産するようになり、やがて香料産業の一大中心地となりました。

近代科学の発展

植物から芳香成分を取り出す技術や、より強い効果がある薬を石油などの鉱物で作る技術が発達し、合成香料が作り出されるようになりました。

それにより一時、植物療法が衰退しましたが、心身症などの新たな病気や強い薬の副作用への懸念から、代替補完療法として自然療法に再び光が当たるようになり、アロマテラピーへの期待が高まりつつあります。

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