アロマテラピーの歴史 日本における香りの文化の継承と普及

日本の人々も古代から香りを愛し役立ててきました。1990年以降、西洋からもたらされたアロマテラピーが急速に普及したのも、そうした歴史があったからです。

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古代から息づく香りの文化

香りに関する最も古い技術は「日本書紀」です。それによると595年に淡路島に香木が漂着したと記されています。

また平安時代には貴族の間でお香が楽しまれました。「空薫物」と呼ばれるお香を焚く生活ぶりや、お香を調合して優劣を品評する「薫物合」の様子が「源氏物語」にも描かれています。

室町時代には香道が成立します。現在まで継承される「御家流」「志野流」が登場したのもこの頃です。

明治以降、日本でも精油を得る目的でハッカやラベンダーが栽培されます。アロマテラピーが広まったのは、1990年代前後で、専門誌が創刊されるなど、急速に普及するようになります。経済への不安や震災の経験により、「癒し」への関心が高まっていたことも関係しています。

そして1996年、アロマテラピーの健全な発展と普及啓発を目的に「日本アロマテラピー協会(AAJ)」が設立されました。

のち、2005年に「社団法人日本アロマ環境協会(AEAJ)」に、2012年に「公益社団法人日本アロマ環境協会(AEAJ)」となって今に至ります。

香道

香りを聞いて(嗅いで)楽しむ「聞香」を中心にした、伝統的な芸道。室町時代、将軍足利義政が造営した東山山荘には多くの文化人が集い、様々な文化が花開いた。「御家流」を興した三条西実隆、「志野流」の開祖志野宗信らもその一人。

  • ハッカ:明治の初期、香料原料として北海道の北見市で盛んに栽培されました。
  • ラベンダー:
    化粧品香料用途のため、昭和12年にフランスから種子を入手して栽培が始まりました。品種改良や栽培研究は現在北海道富良野地方に集約されています。
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